遠野七観音

【ページ内目次】
遠野七観音巡りとは
ガイドについて
料金について
予約申し込み

遠野七観音巡りとは

『遠野古事記』によると、平安時代前期嘉祥年間(八四八~八五〇)慈覚大師が一本の桂の木から七体の観音像を刻んで安置したということになっていますが、そのまま信じるには無理がありそうです。
七観音を一昼夜で巡拝するとご利益があると伝えられております。これを実際に歩いて巡拝するとなると大変な行程です。男子が「お山三山掛け」で遠野三山に登拝するのに対し、女子が巡る信仰であるとも言われています。

第1番札所から回りやすいように巡っても65.4kmもあり、徒歩だと14時間ちょっとかかるようです。これを1番から順に7番まで歩くとなると100kmを超えるようです。

ガイドについて

ガイドする人の都合の確認や調整のため、予約申し込みは必ず1週間以上前に行ってください。
基本お車での移動です。自転車で巡るのをご希望の場合サイクリングページからお申込みください。
コースもある程度決めてはおりますが、その中でご要望にお応えできるようにご案内いたします。コースの詳細は、出発前のオリエンテーションでお客様と打合せして決めます。
なお、当日の天候により急遽中止となる場合もございます。

第1番札所 山谷観音

 小友町の町場から鷹鳥屋川に沿って上流に辿り、間もなく農道を太田方面に折れる。右方向に赤い鳥居が目に入り、そこが入口で正面、山際の杉林参道奥に社殿が現れる。慈覚大師が斉衡元年(八五四)、自作の十一面観音像を安置したときを草創とする。この観音堂が、世に知られるようになったのは、南北朝時代である。もとは大慈山長福寺と号し、二十四坊を有する、天台宗の大寺であったという。
 元禄四年(一六九一)、前年に再興した観音堂が全焼、尊像が焼損して宝物が失われた。同十二年(一六九九)観音堂を再建、寛保二年(一七四二)には、京都から十一面観音像を求めて安置した。これが現在に続いている観音堂と本尊像である。明治初年に観音堂の西側にある経塚から、天正十二年(一五八四)銘の金銅製経筒が発見された。祭日は旧七月十日から八月十日に変わっている。

第2番札所 松崎観音

 草創は、大同二年(八〇七)といわれ、麦沢山松崎寺と号した。本尊は、十一面観音像で、円鏡を御影にした金物の物体であったという。嘉祥四年(八五一)、慈覚大師が一木を持って、七体の仏像の観音像を刻み、うち一体が六尺(約一八〇㌢)の尊像だった。現存の本尊像は、古来伝統の立木像を偲ばせる、十一面観音像である。
 参道は長くはないが、杉などの大木に囲まれ、古びた石段が導く、いかにも古堂の趣がある。享保十三年(一七二八)には、西国三十三ヵ所観音像が、同十七年(一七三二)には、銅造り地蔵尊が奉納されている。町場に最も近い地形が幸いし、多くの参詣者が訪れ、厚い信仰があったようだ。今は地域ぐるみの取り組みで、環境整備が進み、往時の面影を取り戻しつつある。

第3番札所 平倉観音

 大同二年(八〇七)の草創で、大月山栃内寺と号す。本尊観音は嘉祥四年(八五一)、慈覚大師が諸国巡行途上、当地方で一木から、七体の観音像を彫刻したときの一尊とされる。遠野七観音第六番札所。その後、本尊はいつ何所へ紛失したか分からなくなる。同様御堂も破壊消失、由緒不明を辿った。堂屋がここにあったのではと伝えられるところに、元禄十四年(一七〇一)住民が寄り合って再建したという。
 享保五年(一七二〇)仏師が来村し、有志で馬頭観音坐像を安置したといわれる。現在の御堂は、寛政十二年(一八〇〇)の建築である。栃内観音との別称があり、例祭は旧七月十日であったが、現在は八月十日に行なわれている。境内には優良種馬「吉隆号」の銅像を建立。馬産地遠野郷にも通じる、ほのぼのとした風習を感じる。

第4番札所 鞍迫観音

 仁寿二年( 八五二)、慈覚大師が九尺九寸( 約三㍍) の十一面観音像を、自ら刻んで安置したことに始まる。万治二年(一六五九)に観音像が全焼、宝物や記録類は失われたが、不思議に観音像は焼損しなかった。本尊像は平安中期の作で、しかしこのときの火災で、表面が炭化したまま今に伝わっている。再建されたのは、寛文十年(一六七〇)で、江戸前期の大堂である。
 江戸時代は羽黒派修験坊が、別当を勤めていて、明治初年白山神社と改称された。  例祭日は当初、旧七月十日だったが、現在は八月十日になっている。以前は十六坊を有していたと伝えられており、大満や善寿と呼ばれた坊跡がある。  観音堂の近くに、新しく建てられた絵馬の収蔵庫が見られる。ここに堂内に奉納された、百数十枚の南部小絵馬も、大切に保存されている。参道を少し上がると、目的の堂が杉の樹間に現れ、敬虔な思いを誘う。周囲をゆっくり眺めるのも、また信仰を深くする。

第5番札所 宮守観音

草創は、大同二年(八〇七)、寺山号を月見山平沢寺という。 本尊は千手観音で、嘉祥四年(八五一)慈覚大師が諸国巡業 のときに、この地方で一木をもって、七体の観音像を彫刻し たものの一尊である。後に堂が火災にあったものの難を免れ た。ところが御堂再建の際、埋葬のつもりで、山中に埋めた という。
 今の尊像は、後人の作といわれる。観音堂は江戸後期の建 築とされ、資料では嘉永六年(一八五三)とある。廃仏毀釈 の明治初年、愛宕神社と併合改称し現在に至っている。今に 残る宮ノ森観世音菩薩由来書は、史実を記した資料で、裏に 施主講中二十二人の名が印されている。祭日は、愛宕神社と 同じ、八月二十四日に営まれる。

第6番札所 山崎観音(栃内観音)

 大同二年(八〇七)の草創で、大月山栃内寺と号す。本尊観音は嘉祥四年(八五一)、慈覚大師が諸国巡行途上、当地方で一木から、七体の観音像を彫刻したときの一尊とされる。遠野七観音第六番札所。その後、本尊はいつ何所へ紛失したか分からなくなる。同様御堂も破壊消失、由緒不明を辿った。堂屋がここにあったのではと伝えられるところに、元禄十四年(一七〇一)住民が寄り合って再建したという。
 享保五年(一七二〇)仏師が来村し、有志で馬頭観音坐像を安置したといわれる。現在の御堂は、寛政十二年(一八〇〇)の建築である。栃内観音との別称があり、例祭は旧七月十日であったが、現在は八月十日に行なわれている。境内には優良種馬「吉隆号」の銅像を建立。馬産地遠野郷にも通じる、ほのぼのとした風習を感じる。

第7番札所 笹谷観音

 遠野七観音第七番札所。慈覚大師作と伝えられる一㍍余の勢至観音を祀る。この地には今なお堂ケ沢、観音跡、寺屋敷と呼ばれる旧跡がある。また、付近には経塚の跡も確かめられている。ここには七井戸伝説というのがある。慈覚大師がここで七体の仏像を彫り上げ、それぞれ七つの井戸で洗い清めたという。観音像を刻んだ場所には、表裏のない笹が生えているといわれる。
 その後、いつしか堂宇は朽ちはて、尊像も失われていたが、享保(一七一六―一七三五)のころ、村人達が再建した。元文年中(一七三六―一七四一)、尊像のないのが巡拝中の六部の目に留まり、その勧めによって、仙台の仏師に彫らせたのが、現在安置されている仏像だ。旧七月十日だった例祭が、八月十日に変って現在に至っている

料金について

ガイド料金(お一人様1日の料金)

お申込み人数 お一人さまあたりの料金 備考
1名様 15,000円  
2名様〜3名様 8,000円  
4名様〜 5,000円  

車であれば余裕で1日で7個所を巡ることが可能です。自転車でも無理では無いと思いますが体力のある人向けです。かかる日数は、移動する時の乗り物によるところが大きいと思います。
でも昔の人は徒歩で巡ったというから大したものです。

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